ISSUE01

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#movie

2019/7/07

小さな出来事の重みを伝えるために。
映画監督・奥山大史の、
つくることとの向き合い方。

映画監督・奥山大史

キャッチーとも、センセーショナルとも受け取れるタイトルが目を引く映画『僕はイエス様が嫌い』。そのストーリーは、意外なほどに淡々と、日常のリアリティーを伴ったトーンで繰り広げられていく。宗教というテーマを扱いながら、神秘よりも現実を描いたこの作品は、スペイン、スウェーデン、アイルランド、中国の国際映画祭で次々と喝采を浴び、参加した全ての海外映画祭で受賞するに至った。

監督は、奥山大史。制作時21歳、はじめて撮った長編作品での快挙に業界内外から注目を集める彼は、どんなモチベーションで今作を撮り、どんな想いで映画と向き合っていくのか?

「祈り」を通して描かれる、イエス様との距離感

『僕はイエス様が嫌い』では、ミッション系の小学校に転校した主人公のユラが、「祈り」との出会いに戸惑い、受け入れ、また離れていく様子が描かれます。奥山監督ご自身も、幼稚園から大学までミッション系のスクールに通われていたそうですが、ご自身の経験が投影されているのでしょうか?

はい、この作品は自分の原体験から来るものが大きい作品です。僕自身、幼稚園のときに転園してミッション系のスクールに通いはじめたので、ユラと重なるような経験をしています。最初は子どもながらに違和感を抱きました。日常生活では宗教を意識するようなほとんどないのに、礼拝堂に入るとみんな急に祈り出すのが、半分新鮮で半分不気味に感じて。

でも、子どもって順応能力が高いものですから、すぐにみんなと同じように祈るようになりましたね。苦しいときの神頼みじゃないけれど、自分の力だけでどうにもならないことがあったときに祈ったり、寝る前に今日も1日ありがとうございましたと祈ったり……。都合よく解釈していた部分もあるので、いま大人の基準で振り返ると、信じていたというのとはちょっと違うかもしれませんが、子どもなりに拠り所にしていたのかなと思います。

奥山 大史|HIROSHI OKUYAMA
1996年東京生まれ。初監督長編映画「僕はイエス様が嫌い」が、第66回サン・セバスティアン国際映画祭の最優秀新人監督賞を史上最年少で受賞。学生時代に監督した短編映画「Tokyo 2001/10/21 22:32~22:41」(主演:大竹しのぶ)は、第23回釜山国際映画祭に正式出品された。


そんななかで、キリスト教以外の文脈での祈りのシーンも描かれました。礼拝堂で祈るのと同じ手で、仏間や神社では違う祈り方をします。

日本では、宗教をまたぐことってごく当たり前にありますよね。多くの人が、年末にクリスマスを祝いつつ、1週間も経たないうちに、初詣で神社で手を合わせます。ミッション系の学校の生徒もそれはあまり変わりません。疑問も持つ人もいるけど、曖昧なまま受け入れちゃう人のほうが多いのが実際のところです。

宗教的な部分に限らず、理屈で考えると少し変なシーンは他にもちょくちょく挟まっています。ユラの行動のなかには「え、なんでそんなことするの?」というものもありますが、そもそも子どもってそういうものでしょという考えもあってのことです。

小さな出来事の重みを伝えるために、淡々としたシーンを重ねる。

作中には衝撃的なシーンもありますが、必要以上の演出を加えずに描かれていますね。

淡々としているなかに衝撃が混ざると、それはちゃんと大きな衝撃として受け止めてもらえると思っていて、過度な演出は避けました。例えばもし、地球の危機を描いたアクション大作のなかにあのシーンが挟まっていたとしたら、あまり印象に残らないと思います。

小さな、身近な出来事の重みを伝えたくて、そのために何気ないシーンを淡々と積み重ねました。意識したのは“緊張と緩和”です。お笑いを紐解く概念として語られることの多い言葉ですが、僕はお笑い以外にも通じる考え方だと思っています。

名前を借りたくなるほどに作品にマッチした主演子役

主演の佐藤結良(さとうゆら)さんの名前の読みを、そのまま役名にされていますね。

プロット段階でタクヤという名前だったのを、オーディションで結良くんに会ったことがきかっけでユラに変更しました。変えた理由は、結良くんの演技がものすごく良かったのと、名前の響きもテーマに合っていたからです。実際にユラという名前の聖人がいるわけではないのですが、どことなく聖書に出て来そうな響きいうか。彼の容姿から受ける印象ともマッチしていましたし。

彼の演技の良さはどこにありますか?

やっぱり自然体なことですね。多くの役者は、カメラを向けられると意識してしまうものです。萎縮してしまったり、逆に意気込んで演技が過剰になったり……。子役さんの場合、声が不自然に大きくなってしまう子がほとんどです。結良くんは、カメラを回していてもいなくても、声の大きさも仕草も変わりませんでした。もちろん、素の結良くんを出しているというわけではなく、ちゃんとユラとしての演技をしながらです。これは大人の役者でもなかなかできないことなので、素晴らしい才能だなと感じました。

今こうして監督とお会いして、監督もとても自然体な方だなと感じています。結良くんとご自身には似ているところがあると感じますか?

大人との付き合い方は、昔の自分にけっこう似ていると思います。結良くんはユラを演じる際に、学校の先生や、カズマのお母さんに対して、少し距離感を感じさせるような、そんな表現をしました。嫌いとか疑っているということでないけれど、信じきるわけではない、というか。もちろん、はしゃぐときははしゃぐし、普通の子どもな部分のほうが多いのですが、ところどころで俯瞰した目線を感じられて、そんなスタンスが自分の子どもの頃に重なる部分はありましたね。

イエス様を子どもの手のひらに乗りそうな、小さなサイズで描写したことも話題となりました。この演出は初期から構想されていたものですか?

いえ、一番最初に書いたプロットでは、イエス様は目に見えない存在として映さないつもりでした。ビジュアライズすることで、軽く見えてしまうのではという懸念があったからです。ただ、ある意味ではセンシティブなテーマなので、重く見えすぎるほうが良くないだろうということで、登場させることに決めました。

ほかに考えたのは、小さくせずに実寸台にすることや、しゃべらせるかどうか、どこまで奇跡を起こせるかという部分です。どこか身近に感じられて、でもコミカルになりすぎないラインを意識しました。

家族のシーンも印象的です。おそらく仏教徒であろうユラの家族と、母親もクリスチャンであるカズマの家族、どちらも実際にありそうなリアルさで描かれています。監督ご自身の家族に関する実体験が活かされているのですか?

家族の描写については、正直自分の経験とはあまり繋がっていません。ユラもカズマも一人っ子ですが、僕は4人兄弟でしたし、ずっと東京で育ちましたし。

ただ、おじいちゃんがクリスチャンで、洗礼も受けていた人だったことは、少しだけ物語に影響しているかもしれません。礼拝堂でのお葬儀も経験があります。劇中の描写のリアリティーを支える土台にはなっているとは思いますね。

“ねらわない”ことで勝ち取った、海外映画祭での受賞

今作は、海外の映画祭で大きな評価を得ました。受賞によって、映画やご自身にどのような影響がありましたか?

月並みですが、作品を広げるための後ろ盾になっていると思います。インディーズで作品をつくっていると、国内のどこか一館で上映してもらうのがやっとということも珍しくありません。受賞実績があることで、国内外を問わず、多くの場所で上映していただけるようになりました。より多く、より遠くの人に届けるきっかけになりましたね。

また、次回作を撮らないかと声をかけていただく機会も増えました。次のチャレンジにつながったことが、僕個人にとっては一番大きなことかもしれません。

ご自身では「海外での評価をねらったわけではない」とおっしゃっていますが、それでも受賞に至ったのは何故だとお考えですか?

逆説的ですが、“ねらわなかった”からだと思っています。実は、過去に賞を意識し過ぎた結果うまく行かなかった経験があって。

今回は、外からの評価や他の人のやり方を意識せずに、テーマ設定や自分の作風を突き詰めることに集中しました。そのことが、受賞の一因になっているのかなと思います。

賞という観点を抜きにして、人からの評価は気にされますか? レビュー記事だったり、SNSだったりに感想が書かれることも多いかと思いますが。

気にしないほうですね。少なくとも、一喜一憂することはありません。そもそも僕自身の映画を観る態度が、けっこう冷静だからかもしれません。素晴らしい作品に出会ったときに、リスペクトから来る昂ぶりを感じることはありますが、基本的には映画は映画として受け止めます。

こんな風に思われたいという理想像もないのでしょうか?

自分がどう思われたいということはないです。観てくださる方に楽しんでもらえる映画をつくりたいとは思っていますが、それだけですね。他の監督さんについても、影響を受けた方や尊敬する方はたくさんいますが、この人みたいになりたいロールモデルはいません。

ただ、自分の映画を観た人に「あの監督に似ている」とか「第二の◯◯監督」と言われたら、その監督の作品は何本か観てみるようにはしています。なるほどと思うこともあるし、どこが似ていると感じたのか自分では全く理解できないこともあるのですが、そう感じた人がいるということは大事だなと思うので。

日本も海外も、クリエイターに用意された席数が少ないのは同じ

製作時は大学生でしたが、この春から一般企業に勤務されています。就職を考えられた理由は?

映画だけに関わっていると、作り手として視野が狭くなってしまうのではないか、と考えたのが一番大きな理由です。また、つくりたい映画をつくるだけで食べられている人はそう何人もいません。それくらい、映画で食べていくのは難しいことです。幸い、入社した会社は社外での活動にも比較的寛容なので、今後も長編映画をつくり続けていくつもりです。

全国で上映される映画をつくっても、それ一本で生活するは難しいということですね。映画祭では海外のクリエイターと話す機会にも恵まれたそうですが、映画を撮る環境として、日本と世界の差は感じましたか?

実を言うと以前は、日本ってダメなのかなと思っていました。クリエイターが活躍しづらい国なのかなって。でも、海外映画祭で外国人監督やインディーズの配給会社の方と話してみると、若い監督に限って言えば、どこの国でもそう変わらないみたいで。芸術や文化に対するリスペクトがあるというイメージが強いヨーロッパであっても、です。もちろん、色んな面で改善すべき点はあると思いますが、日本人であることや日本で活動していることは、何の言い訳にもならないと、今は考えています。

次はあえて、原体験から離れた作品に挑戦したい

今後はどんな作品に取り組まれたいですか?

現時点でいくつか構想がありますが、テーマやジャンルはバラバラですね。何か1つのテーマにこだわるタイプの映画監督もいて、イチ観客としてはそういう監督の作品も好きですが、僕自身はいろんなものを撮りたいタイプです。

1つ言えるとすると、次回作は自分の原体験からは離れたものをつくりたいと思っています。実体験から着想すると書きやすいし、説得力も生まれるので共感性の高い作品に仕上げやすくはあります。実際、『僕はイエス様が嫌い』も、ミッション系の学校に通っていたからこそ分かる、生徒たちの宗教観だったり、賛美歌の知識だったりがリアリティーにつながっています。僕自身のプライベートでの思い出を投影したユラの悲しみにも、共感の声をいただきました。自分だからこそつくれた作品ですし、ある意味、自分にとって一番つくりやすい作品だったと思っています。

だからこそ、自分が一番撮りやすいものから一度離れて、チャレンジしたいというのが今の気持ちです。


『僕はイエス様が嫌い』絶賛上映中!
全国順次公開中(※詳細は公式サイトにて)
https://jesus-movie.com/theater/

監督・脚本:奥山大史
出演:
佐藤結良
大熊理樹
チャド・マレーン
佐伯日菜子
北山雅康
上映時間:76分
配給:ショウゲート
WEBサイト



インタビュー・テキスト:田中康紘 | 写真:川島彩水 | 編集:脇慶太朗

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